日本の伝統美 匠の作る"能勢菊炭"
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炭焼き師からメッセージ

古くは平安時代にさかのぼる歴史を持ち、茶人千利休によって全国に名高い「池田炭」の元炭となる能勢菊炭。気品を持った炭として、人気の高い能勢菊炭は世界最高ともいわれる日本の炭焼技術を現代に伝えています。
能勢菊炭はエネルギー革命の直撃を受け、消滅の危機にあります。能勢菊炭は日本の伝統文化である茶道には不可欠な炭(茶の湯炭)であり、やきもの的な気品を備えています。一般の燃料炭とは違う品質に対する厳しい条件や産地も限定されるなど特殊な要素を持っており本物を作る職人は日本に数人となっています。
伝統というものはその地域・その町・その国の大切な個性であると思っています。父の思いを繋ぎ、茶の湯炭の継承はもちろんのことですが、炭の持つ燃焼特性や調湿・消臭効果、保存効果など多くの優れた性質と能勢菊炭の美しさを活かした新しい利用法を提案し、日本の伝統技術を後世に繋げたいと思っています。
炭焼き師 小谷義隆


能勢菊炭を支えてきた職人たち

1928年(昭和3年)に能勢町田尻に生まれる。

1946年山師を志すが諸般の事情で大阪府職員
となり42年間奉職。退職後、若い頃を思い出し
炭焼師の先輩の指導を受け、友人達と炭焼きを再開。
炭焼き窯を造り、炭焼き技術の研究や指導に励んだ。
2003年 新しい時代を拓く
「もりのくに・にっぽん」運動  森の名人
炭焼き(黒炭)の部 全国7人の1人に選ばれる。

2007年 町制45周年記念自治功労者表彰受賞。

2008年3月 持病悪化のため他界。
  父の口癖
   「しんどい仕事やけど、残さなあかん」
炭焼き師 小谷安義
炭焼きは一人ではできません。木を切り出す山の仕事、90度前後ある窯への原木詰め込みや炭を出す作業、24時間目が離せない窯焚きなど3K以上の過酷な労働。

私の最大の協力者
辻 忠雄 氏(写真左)
・20年以上父の炭焼きを補助
北山 伸 氏(写真中央)
・20年森林組合にて山の仕事に従事。山のプロ。
                                              


日本の伝統 能勢菊炭

切り口が菊の花のように美しい事から「菊炭」と呼ばれるようになりました。北摂の山々で製炭され、大阪府池田市へ集積された事から「池田炭」とも呼ばれています。 炭の材料にはクヌギを用い、生産するには大量のクヌギ材を必要として乱伐採がされていたように思いがちですが、この樹種は元株が残っていれば何度でも生えてくる木なので、乱伐どころか何度でも再生し生産できる循環型産業なのです。炭には7〜8年くらいたった木が主に使われます。それを万遍なくローテーションさせて伐採していきます。そのため、北摂地域には日本一といわれる里山が残っています。最盛期には約40軒にものぼっていた炭焼き農家は、都市化によって衰退し、今では、極少数の農家が伝統技術を守り続けています。


大阪府能勢町地域の特産品のひとつともなっている「池田炭」(能勢菊炭)は、茶道の分野では全国的に有名でありながら、あまり一般的には知られていないようです。火力が強くて火持ちが良いこと、香りが優れていることで「茶の湯には最高の炭」と言われています。長享年間(1487〜8)に池田の椋橋屋治朗助が足利義政に献上しており、文禄4(1595)年8月15日に豊臣秀吉が池田伏尾の久安寺で観月の茶会を催したときこの炭を薦めた記録が残っています。


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