日本の伝統美 匠の作る"能勢菊炭"
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お茶席の影の主役

奈良称名寺の僧、村田珠光(じゅこう)(1422?〜1502)は京都に出て、大徳寺の一休宗純に参禅し、義政にも仕えて、「殿中茶湯」をきわめ、これを「下々の茶の湯」に適用し、大衆的な茶道の基礎をつくった。義政の茶の湯は、書院で中国渡来の豪華な道具による豪壮な茶の湯であったが、珠光は、四畳半の狭い庶民住居で、また、信楽(しがらき)、備前など国産陶器を使用する今日の侘(わび)茶の源流をつくった。その後、堺から出た武野紹鴎(たけのじょうおう)、その門下の千利休(せんのりきゅう)らにより今日の侘茶が完成するにいたった。この茶道の完成の間に燃料となる木炭も、茶道用に技術的改良が加えられ、池田炭、佐倉炭など茶道用木炭が完成するにいたった。
茶の湯炭には道具炭(どうぐずみ)と枝炭とがある。道具炭は茶の湯炭の主体となる炭で、胴炭(どうずみ)、輪炭(わずみ)、割炭(わりずみ)、毬打炭(ぎっちょずみ)、管炭(くだずみ)、四方炭(しほうずみ)などがある。これらの炭の名前、寸法などは、茶の湯の流派でそれぞれ異なる。道具炭はクヌギの黒炭で、茶の湯流派の好みにより、太さ、寸法を切り揃え使用される。
文禄4年(1595)8月15日に、豊臣秀吉が、池田伏見の久安寺の塔頭(たっちゅう)、常住院で、観月の茶会を催したとき、池田炭を誉めたという記録が久安寺に残っていたが、戦災のため消失してしまった。
久安寺(現大阪府池田市)には朝廷に献上する時、炭箱に立てられたといわれる「献上御用」と書かれた木札が保存されています。同寺では1145年(久安元)から1870年(明治3)まで宮中のお茶用として池田炭を献上をし続けていました。
※ 炭焼きの会名誉会長「岸本 定吉」先生(林学博士) 著書「炭」より抜粋


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