日本の伝統美 匠の作る"能勢菊炭"
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池田炭(能勢菊炭)の歴史

池田炭の歴史は古く、建仁(1201〜1204)の頃から茶に用いられたといわれ、長享年間(1487〜1489)に池田の椋橋屋治郎から足利義政に池田炭を献上した記録がある。また、正保2年(1645)松江重頼編の俳諧の方式書『毛吹草』巻4、摂津のところに「一庫炭、ここより池田の市に出て売りなり。故に池田炭云々」の記載があって、これがもっとも古い池田炭の名であろうとされている。
また、文禄4年(1595)8月15日に、豊臣秀吉が、池田伏見の久安寺の塔頭、常住院で観月の茶会を催したとき、池田炭を賞めたという記録が久安寺に残っていたが、戦災のため消失してしまった。
近松茂矩『茶窗閑話』(享和4年、1804)に、紹鴎の頃までは、池田炭をそのまま直に炉に点き火を入て茶をかけしに、利休了簡にて池田炭をそのまましかけ炭に用ふれバ、炭くづはしりて座付の炭おく時に炉中見たてよろしからずとて池田炭をおこし、上皮の分は白くなるほど焼置きてけさせ、二度焼の炭と名づけて客前の隅に用ひし・・・
池田炭をそのまま使うと、パチパチはねるので、これを2度やきして、用いたという利休の考案が述べられている。
明治19年摂津国能勢郡吉川村の住人、中川五兵衛が記述した『大日本山林会報告』第54号いんは、池田炭の来歴を述べた項がある。
予が祖先中川勘兵衛清光なるもの今を去る凡そ三百有余年の古即ち天正2年の春の頃周囲の山村に生立てる椚樹を伐採し之を焼きて一種の木炭を創制せり。是蓋し池田炭産出の濫觴たるべし。故に当初は之を吉川炭と唱へしこと。今尚伝えて村民の口碑に在り・・・
この記事から、池田炭は中川勘兵衛が初めて焼いたといわれている。
池田かまは白炭型式のかまで、窯外消化のかまであるが、このかまでクヌギを焼き、焼き終わったとき密閉消火(窯内消火)した。これが池田炭の生まれたそもそもの始めであろう。窯外消火の池田かまを窯内消火にかえ、炭材にクヌギを使ったのが中川勘兵衛などの考案であろう。
※浜口隆『茶のお炭の話』1960より抜粋


久安寺と能勢菊炭

725年(神亀)、聖武帝勅願で行基の開創、天長年間に弘法大師真言密教の道場として中興の後、更に1145年(久安元)近衛帝勅願賢実の中興、久安寺と称すようになったと伝わる古刹。安土桃山時代には、豊臣秀吉も参拝し、月見茶会を開いたというエピソードもあります。今では、北摂の名所としても定着し、春には新緑を、秋には紅葉を見物にと多くの人々が訪れます。また、国指定の重要文化財など貴重な文化財もありゆっくりと楽しめます。阪急バス久安寺下車、徒歩スグ。





※池田市観光協会より抜粋


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